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更新日時: 2008.12.26
カテゴリ: 豆知識
フロリストという仕事
Marianne
フロリストのマリカに出会ったのは、今から8年前のこと。ガイドブックのコラム執筆のために、オープンしてまもない彼女のブティックを取材させてもらったのがきっかけであった。彼女は現在も、お姉さんのファリダとマレ地区にあるブティックを切り盛りしているが、花屋というより、クリエイティヴなフラワーアーティストといった方が相応しい彼女は、イヴェントや撮影、結婚式、個人の邸宅やブティックの花の活け込みなど、もっぱら外で仕事をしていることが多い。
幼い頃の隣人がお花屋さん。ヴァレンタインデーやメーデー、母の日に仕事を手伝っては、お小遣いをもらい可愛がられた。そしてある日、ついにランジスの花市場へ連れて行ってもらえるようになった。大きな壁のように積み上げられた無数の美しい花たちの群れを前に、マリカは文字通り息を飲んだ。この時、12歳。大人になったらフロリストになりたいとはっきり意識したという。以来、彼女はランジスにちょくちょく顔を出すようになる。

ランジスでは真夜中に花が運び込まれ、4~5時にセリがスタートする。そして終了後は、皆で楽しく雑談をしながら一杯やるのがお決まりだった。当時は栽培者達もほとんど親子2代で来ており、市場の中のバーやカフェでセリ落とした花の手入れの方法を詳しく聞くことができたという。「市場全体が温かい家族的な雰囲気に包まれていた。」 現在はまるで株の売り買いのように、現物を見ずオランダの栽培者から“ブロイラーように育てられた”花を買い付けるなど、万事が機械的になり、昔のよさが失われた。例えば、バラ専門のチェーン店“Au Nom de la Rose ”で売られている花束の質が落ちたと言って、取引をやめてしまったバラ栽培者さえいるという。 「少々割高でも、荒れた手をした地元の栽培者から丹精込めて育てられた花を買いたい。」と彼女は語る。
87年、マリカは16区の有名フロリスト、リリアンヌ・フランソワで働くようになった。十数年の間にジョルジュ・フランソワ氏の愛弟子として、サンローラン、ラクロワ、シャネル、ケンゾーなど、多くのデフィレの仕事も経験した。この頃、週1度イヴ・サンローランの私邸に花を活けに行くのも彼女の仕事の一つだった。当時20代の彼女は、毎週憧れのグラン・クチュリエに会って、話をするのが大きな楽しみだったという。文字通りのべル・エポック(美しき時代)。当時の著名クチュリエのデフィレやパーティは、例外なく豪華な花あしらいが常であったが、今ではすっかり様変わりしてしまったという。新興成金ロシア人やサウジアラビア人は、シャンパンや毛皮、ダイヤモンドに大金を払ったとしても、花を愛でる文化を持ち合わせていないのだろう。
マリカとはアラブ語で王妃という意味だそうだ。その名が示すとおり、彼女はモロッコ系フランス人。マグレブにルーツを持つ故、普通のフランス人の2倍以上の努力をしなければならなかったという。来年はブティックとかつて厩舎であったサンルイ島に近いアトリエ、Mais C’est çaをお洒落な写真スタジオのように改装する予定だ。将来の夢について尋ねてみた。魔法のように素晴らしく同時に儚い、フラワーアレンジを通じて人々を夢見る気持ちにしたい。幸福にしたい。できればフラワーアレンジやアール・ド・ヴィーヴルを教える学校を作り、人を育てたい。様々な人々や職業の間で交歓が生まれるような場所にしたいという。いずれにせよ「愛がなければ、いかなる成功はありえない」と、彼女は繰り返した。
Création Florale Comme Ça http://www.comme-ca.fr