更新日時: 2009.02.20
カテゴリ: 豆知識
フランスの異郷、コルシカの思い出
Marianne


相変わらずパリは寒く、今週も少し雪が舞った。
それでも夜明けが少しだけ早くなり、ほんの少し日が長くなった。春が来るのを指折り数えて待つ今日この頃。今回も、気分だけでも冬のパリを脱出して、夏の終わりを過ごしたコルシカ島の思い出を綴ることにする。
“美しき島 (l’ile de bauté)”と呼ばれるコルシカは、フランス人でさえ行ったことがないという人が多いが、一旦足を踏み入れるとその手つかずで荒削りな魅力に病みつきになり、繰り返し訪れるようになるという、いってみればフランスの秘境。
ナポレオンの生地でもある首府アジャクシオ、経済の中心地で北の主都バスティア、北西部の港町カルヴィには、パリから直行便が飛んでいる。
ニースやマルセイユなどから船も出ているが、所要6~8時間。島南端から南にわずか5キロに位置する双子のような島、サルディニア島はすでにイタリア領で、ニースの南約180キロ地中海に浮かぶこの島がすでに、フランスの異郷であることに納得がいく。
昔、大学の語学の授業で少しだけコルシカ語を取ったことがある。来仏して日が浅く言葉のハンデがまだ大きかった上、他の学生の多くがコルシカ出身あるいは両親あるいはどちらかがコルシカ出身者だったこともあり、授業のペースについていけず早々にドロップアウトした。記憶に残っているのは何だかイタリア語のような言葉だなあと印象のみ。実際、コルシカ語はイタリアのトスカナ方言に近いと言われる。また、金髪・碧眼のフランス人は少ないが、コルシカではそれに比べて意外に多い。これも古くからカルタゴ、ローマ、ゲルマン、サラセン、ピサ、ジェノヴァと、様々な外敵の侵入が繰り返された歴史がもたらした混血の結果だという。またコルシカをフランスに併合した皇帝ナポレオンは、意外に地元で人気がない。むしろ最大の英雄は、“コルシカ建国の父”パスカル・パオリである。

コルシカの独立運動など民族主義の強さはよく知られるところだが、人々は自らのアイデンティティはあくまでコルシカ人であり、フランス共和国の一部に行政的に属するのみと考えている。この土地を旅して現地の人と語り合う時、間違っても彼らを「貴方達、フランス人」と一括りにしてはいけない。途端にいやな顔をするだろう。ゴッドファーザーのルーツ、シチリアに通じる激しい気性の地中海気質はパリジャンのアグレッシブさとはまた異質だ。
一方、信号もない田舎道で道路渋滞に出くわすことがある。いったい何だろうと思うと、反対車線を走ってきた知り合いとお互いに道路の真ん中で車を止めて、長々と世間話。後続車はしびれを切らしてクラクションを鳴らす訳でなく気長に話が終わるのを待っている。こういう光景は日常茶飯事、情の厚さが尊ばれるあくまで人が中心のスローライフなのだ。それもあってか生産性は低く、その経済の多くの部分は国の援助金に頼るのが現状。離島であることから物価も高い。

私が旅したのはバスティアから南に約60キロ、島の東海岸のアレリアという地域。風光明媚な西海岸に比べると海岸線の変化に乏しく、比較的平坦でモーパッサンの“海から聳える島”のイメージからも程遠い。
庶民的なビーチとローマ遺跡(昨年末、集中豪雨による被害を受けたという)、ワインの栽培地。最近ではディアーヌ湖で牡蠣の養殖も行われているという。


海に囲まれながらも、コルシカの伝統的な食文化は栗と豚・山羊を中心とした畜産物が中心平地が少なく小麦の栽培に適さないことから、栗が長く主食となっていたが、栗のクッキーやケーキも素朴な味わいで、ヤギチーズのベニエ(天ぷら)も意外な美味しさだった。


初めてのコルシカへの旅は、地元の人との出会いやフランスと異質なコルシカ文化を垣間見ることであっという間に終わってしまった。次回はぜひ、南北に伸びるコルシカ鉄道に乗り、“美しきの島”の魅力を存分に満喫してみたいと思っている。